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オリジナルの曲を創り始めたのが、15歳のころでしょうか?
遊び歌、はもっと前からです。

多作ではありませんが、ずっと、こつこつと作曲してきました。
まだまだ、出し切れてない感じがしておりますので、これからもっともっと、作曲もしていきたいと思います。

チャーリーパーカー、ジャンゴ、フランシスレイとミシェルルグラン、映画音楽、などいろいろ勉強して、自分のことも振り返り、非常に刺激になっております。

これからの課題が色々見えて来ておりますが、まずは、身近なところで、サパトス用の曲をいくつか作曲してみようと思っています。

作曲にもやはりテーマが必要で、その時々違います。
ここ2〜3年は旅行のイメージで作曲というのをやっておりました。その前は、バンド用に創っていましたね。

サパトス用というのが、ちゃんと取り組めていなかったので、芸術の秋に向けてがんばってみようかな。

とにかく、演奏も大事だし、歌うことも大事だけど、せっかく作曲が出来るのだから、もっともっと書いて行こうと思います。
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まだ、お席に余裕がございます。
ぜひお越し下さいませ。

今月のレクチャーライブのお知らせです。
9月6日(日)14時から
今回のテーマは、バースデーライブもあることだし、
僕のオリジナル曲の解説をお送りいたします。
古い昔の曲とそのエピソードなどを詳しくお送りいたします。

ゲストに、ギターの達人、小畑和彦さんをお迎えしております。
どうか、お誘い合わせの上、たくさんのご来場、お待ち申し上げます。

よろしくお願いします。

7/12は原宿allaでレクチャーライブでした。
今回は、映画音楽その2、でした。
自分としては、この企画にだんだん慣れて来たので、少しはよくなって来たかなと思います。
今回は前半に映画と映画音楽の始まりをお話しして、そのあと、古い物から順に映画のエピソードなども交えながら、たくさんの曲を演奏しました。

エジソンの発明したキネトスコープとリュミエールの発明したシネマトグラフからサイレンとムービーからトーキーへ。

フィルムに音声トラックが同期する前から、映画には音楽が使われていた。それは、撮影時の雰囲気を盛り上げるための物と、実際に映画館で生演奏で行われる物とあった。

そして、映画のヒットとテーマ曲のヒットが連動する。(まだ無声映画です。)

それからトーキーの時代が始まり、最初は、アメリカではレビューショーをそのまま、ストーリーはほとんどなし。歌と踊りの世界。
ヨーロッパでは、芸術的な物へのチャレンジも始まっていた。

などなど、この辺りのことはなかなか面白いし、テクノロジーは大変に進化したのだが、人々の映画に対する気持ちは今とそれほど変わらないのがわかって面白かった。

その後、様々な名作が生まれたし、それらの音楽もまた有名であった。映画音楽家と映画監督はだいたいコンビを組んで作品を創っていたことが良く分かった。

さて、この企画はなかなか良さそうなので、来年も続けて行こうと思う。
一つのテーマに関して、前半後半の2回づつといのが良さそうだと思う。
1月、2月 「未定」
3月、4月 「バードとジャンゴ、ジャズの初期」
6月、7月 「仮)ポップス特集」
9月 「オリジナル曲集」
10月、11月 「映画音楽特集」
12月 「クリスマスソング特集」

というような感じでどうでしょう?
または、これをやってほしいというリクエストなんかもいかが?
おかげさまで、6/7のレクチャーを終えることができました。
今回も、新しいことをたくさん学びました。
例えば、

イギリスはサスペンス
フランスは恋愛もの
イタリアはネオリアリズム
アメリカはミュージカルと西部劇、ホームドラマ

という特色が、映画隆盛の初期のころははっきりしていた。
音楽的にはとくに、フランスとアメリカのものに数多くの注目すべき作品がある。

フランスで映画とジャズと融合した新しい波はヌーベルヴァーグと呼ばれた。
マイルスデイビスの死刑台のエレベーターが、音楽としても有名。

フランシスレイの「ある愛の歌」は全世界で700万枚のセールスを上げた。
フランシスレイはエディットピアフのピアノ伴奏をしていた。

そして、ミシェルルグランはチャーリーパーカー、ジャンゴラインハルトなどに影響を受け、彼らが演奏していたサン・ジェルマンン・クラブで夜中に演奏していた。

シャンソン、ジャズでいつも演奏される「枯葉」も実は映画の主題歌として作曲された。

探せば出てくる、たくさんのエピソード。
予想はしていたけど、とても身近なことだけに、とても楽しい。
次回も、さらにいろいろ調べてみようと思います。

次回は7/12です。
6月7日(日)原宿alla レクチャーライブ
今回のテーマは映画音楽。

さて、取り上げたい作曲家はまず、ミシェル ルグランです。

今までのレクチャーの続きで、彼はチャーリーパーカー、マイルスデイビス、ジャンゴラインハルト、などの音楽家と少なからず接点があったんですよ。
ぼくもそれを初めて知って、ちょっとびっくりしました。

あとは、フランシス レイ。
彼の方は、なんとボサノバに精通していたとか、、。そうです、男と女。あの音楽のテイストはまさにボサノバ。

でも、フレンチボサという感じで、さらにふわっとしていますよね。
フランシスレイが、どのようにボサノバに通じていたのか、解明出来るでしょうか?

ジャズとボサノバ、最強のコンビですね。

演奏する曲目は、お二人の代表的な曲にくわえて、僕の好きな映画音楽をどしどしやってみます。

何をやろうかな_〜♪ 
3/22のレクチャーライブの追加情報です。

ジャンゴラインハルトの奏法に大きな影響を与えたと思われることを、ひとつ言い忘れていたので、書いておきます。

ジャンゴは大火傷を負って指が動かなくなる前はバンジョーを弾いています。
バンジョーのソロはアルペジオを展開して行くのが特徴です。とくにディミニッシュコードのアルペジオを効果的に使用するのが特徴です。

手に大火傷を負い、重たいバンジョーからギターに持ち替えたジャンゴは、バンジョーの弾き方を、まずはそのままギターに置き換えた形で演奏したのではないだろうかと、推測される訳です。

そうすると、あの、指をスライドさせながら2本指で弾きまくる奏法のルーツが理解出来るような気がしました。

バンジョーの演奏はアメリカのブルーグラス(カントリーの一種)という音楽を聴くと良く分かると思います。これはフォギーマウンテンブレイクダウンというブルーグラスのスタンダードです。
http://www.youtube.com/watch?v=qFtnXIp5o9s
はい、本日はレクチャーライブにお越しいただき、ありがとうございました。

今回は、懐かしいギターの偉人たちのレクチャーということで、僕も一生懸命勉強して準備して参りましたが、内容はいかがでしたでしょうか?

自分としては、至らない所ばかりで、気が収まらないで反省モードではありますが、皆さんにチャーリークリスチャン、ジャンゴラインハルト、ウェスモンゴメリー、の名前とそれぞれの特徴が伝わって、興味を持って頂けたら幸いです。

他にもたくさんのギタリストがいます。ただ、この3人は今後も歴史に名前を残して行くべき人たちなので、選んでみました。

彼らの音楽的な功績は、説明しようとすると、とっても複雑で、僕の音楽の知識を総動員しても説明のつかない箇所がたくさんあります。(説明をすることがナンセンスかもしれませんね)

ですので、実際に音楽を聴いて、その雰囲気を楽しんで頂ければとてもうれしく思います。今日お伝えしたCDは、手に入れることができますし、レンタルも出来るかもしれません。Youtubeにも見つけられるかもしれません。

そして、もしかすると僕のサックスのフレーズの中に彼らの影響が聴こえるかもしれません。それは本当は、僕としては避けなければいけないことなのですが、、。

実は、この頃(1940年頃)からジャズの本格的な進化が始まりました。そして、その進化が行き着く所に、ある意味で日本の禅宗に似た「不立文字」的な感があります。

すなわち「佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し」という臨済宗の言葉にも似て、あらゆる偉大な音楽的な始祖に執着をしないということが大切だというのです。

そういえば、ウェスモンゴメリーを師と仰いで、現在ジャズギタリストの頂点に立つパットメセニーは、数年前のテレビのインタビューでは、「自分はウェスは大好きだが、彼のコピーはしない!」と言い切っていました。

「バードをコピーすることは才能の無駄使いだ」と、彼の2番目の奥さんが言っていたことと、共通しています。

マイルスデイビスが同じフレーズを吹くな、とか、フレーズを最後まで吹ききるな、途中でやめろ、とか、様々なメッセージを送ってバンドを率いていたことにも同じようなエッセンスを感じることができます。

ですが、間違っては行けないのは、内容を知らずに否定してはいけないのです。一度は傾倒して、そのあと、そこから巣立つために、執着を断って否定をしてみると新しい世界が開けるのではないでしょうか?

皆さんはジャンゴ・ラインハルトというギタリストをご存知でしょうか?
ジャンゴは、18歳の時に大火傷を負い、左手の小指と薬指がくっついて動かなくなってしまいました。。それで、なんと、使える3本の指でギターを弾き、歴史的な名ギタリストとしての名を残した人です。

この人の存在で僕は、遅く初めてしまったために、まるで物にならないサックスをがんばって続けることができたのです。指がなくて、ギターを世界一上手く引けるようになるのだから、サックスを始めるのが少し遅いくらいなんでもない、と、自分に言い聞かせてサックスを始めました。

それはさておき、
ジャンゴは、1910年1月23日生まれ、チャーリー・クリスチャンは、1916年7月29日
チャーリーパーカーは、1920年8月29日です。 そしてウェス・モンゴメリーは1923年3月6日です。大体同じ頃の人たちですね。

ちなみに1910年は明治43年で、1923年は大正12年です、、。
僕のジャズ系の最初のアイドルの4人は、随分昔の人たちなんですね。あらためてびっくりしました。

ジャンゴはジプシーギターで有名ということですが、実はアメリカのジャズ、ビバップ(チャーリーパーカー、チャーリークリスチャンなど)に傾倒し、影響を受けたということです。

フランスのミュゼットを基礎とする、ジプシー系の音楽をイマイチ古いと感じで、当時最も新しい音楽であった、ジャズに関心があったということです。

そのジャズギターの開祖というのが、チャーリークリスチャンですが、彼は25歳で結核で亡くなってしまいました。前回、ご紹介したミントンズのセッションの録音、あのチャーリークリスチャンに、ジャンゴは影響を受けたのでしょうか?
さて、1年ほど前に、その声が入っているアルバムが録音された場所、“Minton’s Playhouse”が朝日新聞に取り上げられていたらしい。

「そこは、1940年代にアドリブを重んじる新潮流ビバップを生んだ伝説的ジャズクラブ」である、と紹介された。
1938年に、テナーサックス奏者のヘンリー・ミントンが開いたジャズクラブで、1974年に閉鎖されるまでニューヨーク・ハーレムにあったのだ。

その後30年余りの空白期間を経て2006年に、同じニューヨーク・ハーレムでUptown
Lounge at Minton’s Playhouseとして再開された、ということで、いまでは、観光スポットになっているようだ。

今度ニューヨークに行くときにはぜひ、立ち寄って、あわよくばセッションをしてきたいと思っている。
そして、運命の声はチャーリークリスチャンのレコードの中から聞こえた。
最初はまさに、空耳だと思った。「あれ?誰か僕のことを呼んでいる?」
そのとき、僕はまだ18歳だった。

先輩から借りた貴重なチャーリクリスチャンのレコードに、何度も針を落とす訳に行かない。だから2、3回しかその場面を聴くことは出来なかったが、確かに僕を呼ぶ声がした。

そのレコードは「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」という、今では超レアものの、幻のレコードだった。
そして、その声に呼ばれるがごとく、僕はアメリカに渡った。

先日、その声を30年ぶりに確かめたくなって、その音を探した。そしてネットでやっとその同じ音源のCDを見つけて、その声を確認した。

今度のレクチャーライブの最初にその声を実際に、皆様にお聴かせしたいと思う。
*********
それでは、その前に、3/22の当日まで、チャーリークリスチャン、ジャンゴラインハルト、ウェスモンゴメリーについて、すこし予習をしていきましょう。そしてその話は、僕が前回レクチャーした、チャーリーパーカーに出会うところへ繋がります。
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音楽家
自己紹介:
ミュージシャン、サックスプレーヤー、作曲、アレンジ、プロデューサー
活動母体/サパトス、三四朗グループ、クリオネ、いにしえのトリオ
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