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さて、そろそろ2/11のレクチャーライブの予習のまとめをしましょう。

まずは、僕とチャーリーパーカーとの出会い。そして、ギターからサックスへの無謀な転向。などからお話を始めます。

そして、チャーリーパーカーのバイオを紹介します。
1920年カンサス生まれ
1942年 Savoy に出演
1944年 レコードデビュー
1945年 ドリス・シドナー(シドノア)と結婚
絶頂期1、始まる 最も多作
1946年 ダイヤルと契約
      7月 入院
演奏
1、Yardbird Suite
2、Confirmation

1947年 退院
      絶頂期2、始まる サヴォイと契約 多作
1948年 人気投票No.1以降、ずっと1位
1949年 初めてのヨーロッパ遠征。
      録音with Strings
1950年 チャン・リチャードソンと結婚
      2度目のヨーロッパ
1951年 胃潰瘍など病気に苦しむ
1952年 ヴァーヴと契約
演奏
3、Anthropology
4、Merry Go Round

1953年 ギル・エヴァンスと録音
1954年 自殺を図る
1955年 3月5日バードランドへ出演
      3月11日 死去
という感じの流れに、ちょっと解説をつけて説明します。

5、Donna Lee
元の曲は,ディキシーなんかで良く演奏される「Indiana(インディアナ)」
6、Scrapple from the apple 
これは「Honeysuckle Rose」 に 「Rhythm Change」のサビを加えたと言われる曲


7、All the things you are
パーカーの曲としてはこの辺をお送りしましょう。
1〜2曲は参考までに譜面をお見せいたします。

同時期の曲として、
Honeysuckle Rose
Stompin' at Savoy
この曲は実際に1926年から1958年までニューヨークのハーレムにあった社交場にちなんで創られた曲。ダウンタウンにある白人だけのコットンクラブとは違い、黒人も白人の一緒に楽しめるダンスクラブ。ここから多くのミュージシャンが出て来た。

そして、パーカーも録音したことのある、
Tico Tico no Fuba 追加しました。 ありがとうございました。

まだバードをちゃんと聴いたことがないという方へ、こんなアルバムをご紹介いたします。(ファンの方からの情報です。)
千円ジャズ~ザ・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー
レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック

さて、いろいろパーカーについて調べたり、練習したりしていると、様々な思いが頭の中を駆け巡りました。
僕がサックスを始めるきっかけになったアーティストのことをあらためて掘り起こしてみることは自分の道を振り返ることと重なってしまい、思いもかけない衝撃を受けたりもしました。とにかく、自分の中で知らないうちにモヤモヤとしていたものが、すっきりして、とても良かったです。ありがとうございました。
明日が本番なのですが、準備中に思い切り楽しませて頂きました。
明日は皆様に楽しんで頂こうと思います。
このシリーズはなかなかよろしいかも。。
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バードの勉強をしているつもりが、どんどん他の方向へ向かってしまい、今は上原ひろみをずっと調べていた。というか聴いていた。
サイトも見て、すごい、がんばっているなとひたすら感動した。演奏もすごい。前からすごかったけど、去年のバンドがますますスゴい。ちょっと難解な所もあるけど、はげしさと、きりきりっと引き締まった所が、やはり日本を感じる。海外でのほうが受けるだろうな、と思われる。

まあ、とりあえず、おいといて、バークリー音楽院のことを思い出していた。
最近様子を知らなかったので、サイトを見てみたら、随分進化しているようだった。びっくりしたのが、音楽療法がかなり盛んに行われているらしい。ちょっと興味があるので、今度調べてみよう。やはりレベルの高い学校である。今時のことは真っ先に取り入れている。コンピューターなんかも、レコーディング機材も常に最新だった。僕のいた頃はぎりぎりデジタル化する前だったから良かったけど、僕のあとは学費がべらぼうに跳ね上がったようだった。奨学金制度が充実しているから、がんばれば何とかなるけど。。

さて、それでもバードの演奏はすごいな。それっぽく演奏することは出来ても、その中身を同じクオリティーでやれる人っているのだろうか?今、生きている人でいれば、ぜひ聴きたいし、そばで見てみたい。

そういえば、バッハを弾かせたら世界一と言われる、グレン・グールドというピアニストがいるけど、そんな感じでパーカーをふける人がいると思うんだけどなぁ、、。僕もこつこつやっているけど、どうしても引っかかってしまう所がちょこちょこあるもので、指の具合が違うのか、、、。

天才はいつもそうだけど、ベストの状態がほんの短い間だけなんだ。そして、本当はもっとたくさんの演奏をしていたはずなのに、残っている音源は少しだけ。。そこから推理して、このくらいのことをやっていたのだろうな、と思う訳です。

で、最後の方になると、いろいろな要因で、演奏ががたがたしてくる。それを聴くのがまたつらい。周りの人はお客もミュージシャンもどんどん煽って、もっともっと早くと極限に追い込んで行くのだが、もうついて行けなくなっている。えいやって、力を振り絞ってまたぶわーって吹くとスゴいんだけど、それが、悲しい。
本当の最後には、舞台に立ってもまともな音さえ出なくなっていたそうだ。お客が待っているからと、バードをステージに押し出した人は、今、後悔しているそうだ。「あのときはキャンセルすべきだった」とね。色々な人がバードの最後に関して後悔している。

「Bird」という映画をクリント・イースト.ウッドが作ったのはご存知だろうか?彼はチャーリーパーカーの大ファンだ。ついに映画まで作ってしまった。だけど、映画はとっても暗い。
暗すぎて僕はいやになってしまう。みんな、そのかわいそうなバードの最後を思って、彼の人生がすべて暗かったように感じてしまうのかもしれないけど、そんなことはないと思う。

バードが歌うメロディーはとても綺麗で喜びに満ちあふれていると思う。とても幸せな気持ちでいたからこそ、あんなに綺麗なメロディーが次々に出て来たのだと思う。
そこんとこを、もっと注意して、悪かったりかわいそうだったりしたことは、あまり見ない方がいいと思うのだ。

ということで、また明日。
バードとバッハの共通点は、音の切り返し方にあると思うのです。
Be-bopという音楽はスピード感溢れるフレーズをどんどん切り返して、細かく転調を繰り返しながら、上に下に自由に飛び回ります。バッハのバロック音楽もフレーズの繰り返しを微妙な角度で切り返し、転調すれすれに動いて行きます。

時代の違いからすこしハーモニーの制約が違いますが、メロディーの動きはその自在さと無駄のなさと、先の音を見通している感じが似ていると思います。
バッハの「インベンション13番」の出だしとバードの「KO KO」の始まりがとても良く似ているので、それがわかりやすい例だと思います。

さて、話は変わって、その頃にはやっていた音楽をすこしご紹介します。
バードが活躍するのはビッグバンドの全盛期の後期です。
デューク・エリントン楽団 「Take the A train」
グレン・ミラー楽団「Moonlight serenade」
ベニー・グッドマン楽団(King of Swing)
カウント・ベイシー楽団
などが有名です。
ちなみに日本でこの頃(1940)の流行語は「贅沢は敵だ」だそうです。
そして終戦後(1947)斜陽族など、、。

アメリカのジャズはルイ・アームストロングによって白人社会にも受け入れられるようになりました。
フランク・シナトラも出て来たのがこの頃です。
ビング・クロスビーの映画「スイング・ホテル」で歌われたのが、ホワイトクリスマス。(1942年)

日本の流行歌は
夜霧のブルース(ディック・ミネ)東京ブギウギ(笠置シズ子)憧れのハワイ航路(岡晴夫)青い山脈(藤山一郎)銀座カンカン娘(高峰秀子)
などです。

うむ、面白い。
チャーリーパーカーの別名(あだ名)は「バード(Bird)」である。その由来はいくつかあるようで、パーカー自身の話によると、チャーリーがヤーリーになり、ヤーリーがヤールになり、ヤールがヤードになり、そこからヤードバードとなった、という。ヤードバード、もしくはバードと言われるようになったのは、学生時代からだと言う。
他には、ジャズ倶楽部の裏庭に忍び込んで、漏れ聴こえる音楽に合わせてサックスを吹いたいたからだという説もある。

どちらにしても、バードの演奏は鳥のように自由に、羽ばたいているので、ぴったりの名前だと思う。

そのヤードバード組曲というパーカーのオリジナル曲がある。とても素敵な曲で、「Bird Symbol」というベスト盤に納められている演奏が、もっとも有名だと思う。僕もこの曲に見せられて、バークリー音楽院でこの曲のアドリブを全部そらで歌って驚かれたことがある。

パーカーは実はクラシック音楽に憧れていて、実際に有名なクラシックの先生の所へ行き、「お金はいくらでも払うから私にクラシック音楽の作曲法を教えて下さい」と頼み込んだそうだ。しかし、そのすぐあとにパーカーは死んでしまった。

もしも、パーカーが長く音楽家でいられたなら、いったいどんな音楽を作り出していたのだろう、と考えると、とても切ない。ある人は、パーカーの音楽は完成していて、長く生きてもそれ以上にはならなかっただろう、など、とんでもない意見を言う人がいるが、この頃のジャズミュージシャンで天才的に世の中に躍り出てしまった人は、麻薬と酒に殺されてしまっている。たいへん残念である。バッハ、モーツアルト、に匹敵するような(表現方法は違うが)天才的なひらめきを持ったミュージシャンが本来の天命を全う出来れば、きっと音楽の世界ももっと豊かに発展出来たはずなのだが。

そう、パーカー以外にも、若くして亡くなった、もったいないジャズミュージシャンを上げるとすると、チャーリー・クリスチャン(ギター)、クリフォード・ブラウン(トランペット)、バド・パウエル(ピアノ)、ビリー・ホリデイ(ボーカル)、などでしょう。

今気がついたけど、この人たちがバンドを組めば最高なので、もしかすると冥土でバンドを組んで楽しくやっているのかしら?たしか、そんな落語のネタがあったような気がします。

さて、脱線し始めたので、もどります。

パーカーとバッハの共通点という、話です。
2人とも多作で、駄作がない、というだけでなく、音楽の基礎を作ったと言える点。
そして、ビバップの音使いはバロックのそれに似ているという点。
その昔、バロックは即興演奏が盛んでした。それは、舞踏会の演奏では、曲を自由にのばして演奏する必要があったからではないでしょうか?踊りのための演奏をするときに曲を何度も繰り返しバリエーションを付けて演奏することは、音楽家にとっては当たり前のことですから、自然とそれが聴きごたえのあるものに高まっていたことも自然だと思います。

さて、即興演奏をするときの基礎的な手法はアルペジオと和声的スケールの使用ですが、そこに無駄な音が入らずにつないで行くことが、アドリブの妙味です。僕のレッスンでは、初心者にもこの方法を教えて、自由にアドリブが出来ることを目指しています。中には僕よりも素敵なアドリブをとれるようになった生徒もいます。

西洋音楽は12音しか使いませんので、その組み合わせは、それほど多い訳ではないのです。丁寧に紐を解いて行けば、初心者でも十分アドリブは可能です。

ですが、バッハやパーカーのアドリブには、プロのミュージシャンでも届かない何かがあるのです。それがいったいなんなのか。

止めどもなく溢れてくるメロディーの連続、聴いている人を陶酔させてやまない、自然な音の流れ。音楽を言葉で表せないのが歯がゆいですが、バッハとバードには共通する何かがあるのです。
2/11の講義 & ライブに向けて
第1回目は
『僕の好きなーカーと、その頃の音楽』と題してお送りします。
ご予約がまだの方は、お早めにお願いします。

さて、予習をしておくと、さらに楽しめるし、僕も準備出来るので、ブログに予習を書いて行きます。
ネットの情報をかいつまんで載せておきます。
(wikipediaより)
チャーリー・パーカー1920年8月29日 - 1955年3月12日
享年34歳
ジャズの天才アルトサックス奏者。「モダン・ジャズ(ビ・バップ)の父」とも言われる。1945年から1948年に掛けてが活動の最盛期であり、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは伝説化している。若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。
ーーーーーーーー

僕も17歳のころ初めてチャーリーパーカーのレコードを聴き、18歳の夏にはアメリカにいました。アメリカのボストンでバークリー音楽院に入学。ラジオから聴こえてくるチャーリーパーカー特集を聴き、たまらなくなって、ギターからサックスに転向。以来、大変苦労をすることになり、でも今は、とても良かったと感謝しています。

さて、パーカーのすごい所はなんと言っても、その、アドリブです。もう30年勉強しているけれども、未だにその奥義を会得出来ません。

また、今までに聴いたミュージシャンの中でパーカーの影響を受けているという人でさえ、パーカーのアドリブの高みまで到達した人を聴いたことがありません。
ワン・&・オンリーです。

もちろん、そのアドリブはありとあらゆる角度で研究され続け、内容的にはもはやジャズの基本的な常識にまで理論化されているようですが、それでもなお、瞬間的に反射的にその技を自由に操ることは、非常に困難だと僕は思っています。

一つには、パーカーのフレーズには比較的まねをしやすい、インサイド(ダイヤトニックまたはコード進行に添った)な音の流れと、そうとは言い切れない音使いとが混在して、パーカーを模倣する場合、その比較的まねしやすいフレーズの中に終始してしまい、パーカーがその外へ自由に出入りしている所を見逃してしまうからでしょう。外へ出る(アウトサイド)ときの方法は理論的には縦割りのコードのりハーモ二ゼーション(代理コード)を使っているという説明になりますが、実は本人がそう考えてやっていた訳はないと思います。

ここから僕の解釈ですが、、、

その頃のジャズはビッグバンド中心でしたので、ミュージシャンは譜面に縛られ欲求不満の解消として、また、新しさへの挑戦として、ジャムセッションを行っていました。お客もそこに、エネルギーを感じていたでしょう。セッションの曲は当然、みんなが知っている曲でした。最初は普通にメロディーを演奏していたのでしょう。次第に演奏はヒートアップし、メロディーは崩され、テンポは早くなり、元の曲とは全然違う演奏になり、その上に新しいメロディーが作られました。コード進行はさらに自由に解釈され、パターン化された新しいコードが当てはめられました。
そんな状況の中で、パーカーは自分のスタイルを確立して行ったのです。

彼の天才的な頭脳は、ビバップのパターン化された音の流れ(コード進行)を、メロディーとリズムの塊として把握し、音の流れを縦に解釈せず、横に流れて行くスピード感を追いかけて行くような、刺激のある動きを作り出すことに成功したようです。

この流れを正直に受け継いだサックスプレーヤーはエリック・ドルフィーと、オーネット・コールマンだと思います。2人ともフリージャズと思われていますが、その音楽はしっかりとした理論(オリジナル)に基づいています。特にオーネット・コールマンのハーモロディクスというメロディーとハーモニーを一つのものとして考える理論は、このパーカーの手法を汲んでいるものだと考えることもできると思います。

今日はこの辺でやめます。
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音楽家
自己紹介:
ミュージシャン、サックスプレーヤー、作曲、アレンジ、プロデューサー
活動母体/サパトス、三四朗グループ、クリオネ、いにしえのトリオ
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